
首輪とは、なんと魅惑的なものだろうか。
犬にとって首輪とは、散歩に連れて行ってもらう為の道具であり、飼い主が誰なのかを示す目印でもある。
ところが、人間の世界には、自ら進んで首輪をつけたがり、場合によっては、それを女性につけてもらう為にわざわざお金まで支払うという、犬から見れば理解不能な生物が存在する。
M男である。
犬がこの事実を知ったら、どう思うだろうか。
「お前、金払ってんの?」
恐らく、そう言うに違いない。
しかし、そんな犬畜生に何が分かるというのか。
首輪の素晴らしさとは、散歩に連れて行ってもらえる事でも、迷子になった時に自宅へ送り届けてもらえる事でもない。
もっと崇高で、もっと哲学的で、もっと救い様のないところに、その魅力が存在するのである。
そう、首輪とは、単なる革製の輪っかではない。
「私は今、この時間、あなたの所有物になります」という、実に男らしく潔い意思表示なのだ。
普段は社会人として立派に働き、税金を納め、選挙権を行使し、場合によっては部下の人生まで左右している成人男性が、一人の女性に首輪をつけられた途端、自らの人権を一時的に棚上げしてしまう。
もちろん、現実の人権が消滅する訳ではない。
あくまでも、お互いの合意によって成立する大人の遊びである。
だが、その合意の元で繰り広げられる精神世界は、中々に奥深い。
例えば、首輪をつけられた男性が、女性に壁際まで追い詰められたとしよう。
逃げ道を塞ぐ様に、顔の横へ片手が置かれる。
いわゆる壁ドンである。
女性は男性の顔を見上げ、耳元へ唇を近づけると、少し不機嫌そうな声で囁く。
「ねえ、なんで立ってるの?」
さて、ここで問題が発生する。
立っている。
それは、二本の足で直立しているという意味なのか。
それとも、男性の身体に起きている別の現象について指摘されているのか。
日本語には同音異義語という、実に厄介な仕組みが存在する。
「立ってるの?」
「勃ってるの?」
この二つは、耳から入ってくる情報だけでは区別できない。
しかし、そんな国語学的な問題を解決しようとしている暇などない。
女性の視線は冷ややかで、しかも自分の首には、彼女によってつけられた首輪がある。
ここで「どちらの意味でしょうか?」などと質問したところで、許されるはずがない。
むしろ、そんな事を聞いたら「口答えしていいって言った?」などと、更なる追い打ちをかけられる可能性が高い。
Excellent ──
素晴らしい……実に素晴らしいではないか。
何ひとつ正解が用意されていないというのに、この幸福感はいったい何なのだろう。
更に、ここからが首輪という小道具の恐ろしいところである。
女性に命じられ、四つん這いになった男性がいるとしよう。
首には先ほどの首輪がつけられており、本人としては、すっかり従順なペットになったつもりでいる。
そこへ女性が近づき、指先で顎を持ち上げる。
俗に言う、顎クイである。
「私の名前を呼びなさい」
これは難しい。
何しろ、命令されているのだから従わなければならない。
相手の名前を呼ぶという行為は、人間社会においても特に難しいものではなく、小学校に入学する以前から習得している基本的な能力である。
そこで、男性は素直に女性の名前を口にする。
ところがその瞬間、女性の手が、そっと男性の口を塞ぐ。
「……なんでペットが話してるの?」
え?
いや、あの。
今、名前を呼べって。
あなたが。
自分で。
言ったじゃないですか。
そんな抗議が脳内で繰り広げられているにもかかわらず、目の前の女性は涼しい顔をしている。
しかも、こちらが困惑している事など、すべてお見通しなのだろう。
少し意地悪そうに微笑むと、もう一度、顎を持ち上げる。
「ねえ、誰が喋っていいって言ったの?」
もやもや…ずきゅーーーーん!!!
どうした事だろう。
理不尽な命令を受け、正しく従ったにもかかわらず叱責され、反論する事すら許されないという、通常の社会生活なら労働基準監督署に相談したくなる様な状況で、なぜか幸福の絶頂に達している男性がいる。
しかも、本人は大真面目なのだから始末が悪い。
もはや首輪とは、人間の判断能力を著しく低下させる危険な装置なのではないだろうか。
厚生労働省には、ぜひ調査していただきたい。
もっとも、調査員がM男だった場合、研究対象と研究者の区別がつかなくなる恐れがある為、人選には十分な注意が必要である。
さて、ここで少し考えてみたい。
そもそも、人間はなぜ首輪をつけたがるのだろうか。
世の中の多くの人間は、自由を求めて生きている。誰にも指図されず、自分の意思で行動し、自分の人生を自分で決める事こそが幸福だと信じている。
ところが、その自由を手に入れたはずの男性が、わざわざ首輪を差し出して、「お願いします。私を支配してください」などと言い始めるのである。
人類という生き物は、つくづく面倒くさい。
だが、ここにはひとつの逆説がある。
自分の意思で不自由を選ぶ事は、究極の自由なのではないか。
おお、なんという哲学的な考察だろう。
こんな事を書いていると、まるで首輪について研究している立派な思想家になった様な気分になる。
しかし、現実には、革製の首輪をつけられた成人男性が、女性から「お手」と言われて喜んでいるだけの話である。
哲学とは、時として残酷なものだ。
ところで、首輪には所有者を示すという重要な機能がある。
犬であれば、飼い主の名前や連絡先が書かれた迷子札を取りつける事もあるが、M男の場合はどうだろう。
首輪に名前を書いておけば、迷子になった時に迎えに来てもらえるのだろうか。
例えば、新宿駅の構内で首輪をつけた成人男性が保護されたとする。
駅員が首輪の迷子札を確認すると、そこには女性の名前と電話番号が書かれている。
「もしもし、こちら新宿駅の駅員ですが、お宅のM男さんをお預かりしております」
「えっ、またですか?」
「はい。改札前で四つん這いになっておりまして」
「すみません。すぐ迎えに行きます」
なんという迷惑な話だろう。
しかも、迎えに来た女性から「勝手にどこ行ってたの!」などと叱られ様ものなら、本人は反省するどころか、大喜びする可能性すらある。
これでは、迷子になる事自体が目的になってしまう。
全国の駅員の皆様には、心から同情申し上げたい。
もっとも、首輪をつけたからといって、すべてのM男が犬になりたい訳ではない。
大切なのは、首輪というものが、自分と相手との関係性を象徴する小道具だという事である。
普段は対等な人間同士でも、その時間だけは支配する側と従う側になる。
相手が自分の首に首輪をつけるという、ほんの小さな行為によって、二人の間に特別な世界が生まれる。
もちろん、そこには信頼と合意が欠かせないし、嫌な事は嫌と言える関係でなければ、楽しめるものも楽しめない。
そして、何より重要なのは、支配する女性にだって、自由に振る舞う権利があるという事だ。
「もっと厳しくしてください」
「もっと命令してください」
「もっと犬扱いしてください」
そんな要求ばかり並べ立てている様では、いったいどちらが主人なのか分からない。
犬でさえ、飼い主に向かって「もっと上手に飼育しろ」などとは要求しないのである。
いや、犬は喋れないだけで、案外そんな事を考えているのかもしれないが。
いずれにしても、首輪の魅力は、自分の望む命令をしてもらう事だけにあるのではない。
むしろ、相手が何を考え、どんな言葉を投げかけてくるのか分からないところにこそ、その醍醐味が存在する。
名前を呼べと命令され、名前を呼んだら叱られる。
立っている理由を尋ねられ、どちらの意味なのか分からず困惑する。
そんな理不尽なやり取りを、二人だけの世界で笑いながら楽しめるのだから、人間の想像力とは大したものである。
そもそも、首輪とは単なる装飾品ではない。
リードを通してM男と女性が信頼関係でつながる、極めて優秀なコミュニケーションツールなのである。
考えてもみてほしい。
現代人はスマートフォンに依存し、LINEの既読がついたとか、返信が遅いとか、実にくだらない事で一喜一憂している。
そんなもの、もう必要ない。
スマホなんて手放せ!
LINEなんて必要ない!!
全国の成人男性はマイ首輪を装着し、全国の成人女性はマイリードを携帯すべきなのである!!!
「リードが首輪にカチリとついた瞬間に始まる恋」
この素晴らしいキャッチフレーズを掲げ、今すぐ日本国憲法に明記せよ!!!
もちろん、首輪とリードの接続には双方の合意が必要である。そこは決して譲れない。
だが、ひとたびカチリとつながれば、既読無視も未読スルーも関係ない。
なぜなら、二人は物理的につながっているからだ。
これぞ究極のコミュニケーション革命である。
政府は少子化対策として、出産育児一時金や児童手当の拡充など、さまざまな政策を打ち出している。
しかし、もっと根本的な問題を見落としているのではないだろうか。
そう。
日本には、首輪が足りないのである。
全国の男女が首輪とリードで結ばれれば、恋愛も活性化し、婚姻率も上昇し、ひいては少子化問題まで解決するに違いない。
厚生労働省は何をしているのか。
こども家庭庁は何をしているのか。
一刻も早く《首輪・リード購入補助金制度》を創設すべきである。
なお、財源については、まったく考えていない。
私は首輪について考えているのであって、国家予算について考えている訳ではないのだ。
さて、首輪について随分と長々と語ってしまった。
最後に、これだけは言っておきたい。
首輪をつけるという行為は、決して恥ずかしい事ではない。
世の中には、毎朝ネクタイを締めて会社へ向かい、上司に頭を下げ、取引先に頭を下げ、帰宅すれば妻に頭を下げ、それでも翌朝には元気に出勤する男性が大勢いる。
彼らだって、ある意味では立派な首輪をつけて生きているのである。
違いがあるとすれば、M男は自分の首輪を自覚しているのに対し、世間の多くの男性は、自分が何に繋がれているのか気づいていない事くらいだろう。
そう考えると、首輪をつけたM男の方が、よほど自由なのかもしれない。
ただし、当店をご利用いただく際には、きちんと人間としてご予約をお願いしたい。
電話口で「ワン!」と吠えられても、受付スタッフは対応に困るのである。
なお、お客様がご自身を犬だと主張された場合でも、お支払いは日本円でお願いしております。
ドッグフードでのお支払いは、お断りいたします。
また、首輪をつけられたからといって、狂犬病予防接種の証明書をご持参いただく必要もございません。
どうぞ、ご安心ください。
当店では、どれほど従順なペットになりたいと願うお客様であっても、料金だけは人間として申し受けます。
世の中、そう都合よく犬にはなれないのである。
ちなみに、私自身が首輪を選ぶとすれば、アニメなどでブルドッグがよくつけている、あのトゲトゲの首輪でお願いいたします。
理由は特にありません。
ただ、どうせ犬になるのなら、チワワではなく、できれば少し強そうな犬になりたいのである。
もっとも、首輪をつけられた途端に尻尾を振って喜んでいる様では、ブルドッグとしての威厳もへったくれもないのですけれどね。




















