
世界のどこかで今日も誰かが、赤いボタンの前に立っている。
── 核ミサイル発射スイッチ。
人類が長年大事に育ててきた、「押したら終わるやつ」だ。
だが私は思う。
もしその横に、もう一つボタンがあったらどうだろう。
── 乳首カリカリ快楽スイッチ。
私は確信している。
人類は、100%そっちを押す。
なぜなら乳首は、怒り・理性・暴力・文明、それらすべてを一瞬でどうでもよくする生体インターフェイスだからだ。
ただの“やる気スイッチ”よりも、“乳首が感じるやる気スイッチ”の方がいいし ──
ただの“おとうさんスイッチ”よりも、“乳首が感じるおとうさんスイッチ”の方が絶対いいし ──
ただの“スキマスイッチ”よりも、歌ってる途中で喘ぐ“乳首が感じるスキマスイッチ”の方が面白い ──
これに反論できる人間が、この世にいるだろうか。
いない。
いたとしても、その人は乳首をまだ信用していないだけだ。
人類はこれまで、火を点け、機械を動かし、戦争を始め、スマホを更新し続けてきた。
すべては「押す」ためだ。
── 我押す、故に我あり。
そして進化の果てに辿り着いたのが、最も原始的で、最も高性能なボタン ── 乳首である。
爆弾を作るより、AIを開発するより、乳首を開発する方が難しい。
だが、開発した瞬間、人は静かになる。
力が抜ける。声が消える。争う気がなくなる。
つまり、乳首とは、暴力を快楽に変換する最終安全装置なのだ。
仏陀は菩提樹の下で悟りを得た。
M男性は乳首の上で悟りを得る。
行き着くところは、だいたい同じである。
どちらも、自我を手放し、抵抗をやめ、「感じる」ことに降伏した結果だ。
悟りとは、考え抜いた末に辿り着くものではない。
力を抜いた者だけが、うっかり到達してしまう場所である。
では、ここでG7会議を想像してほしい。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ、日本。
円卓の中央に置かれた二つのボタン。
「核ミサイル発射」
「乳首カリカリ快楽」
沈黙。
緊張。
そして誰かが言う。
「……とりあえず、力抜きません?」
アメリカはネクタイを緩め、フランスはため息をつき、ドイツは無言で目を閉じ、日本は深く一礼する。
その瞬間、世界は救われる。
理由は分からない。
だが、なんかもう大丈夫な気がする。
これが、乳首スイッチ外交である。
暴力とは、力が余った人間の反応だ。
快楽とは、その力を別の場所に逃がす技術だ。
殴る代わりに、感じる。
叫ぶ代わりに、沈黙する。
出す代わりに、巡らせる。
これはエロの話ではない。
人類のリハビリの話だ。
では、最後に問おう。
目の前に二つのボタンがある。
一つは、世界を壊し我が物とできるスイッチ。
もう一つは、乳首カリカリ快楽スイッチ。
── あなたは、どちらを押す?
私は、乳首を押す。
世界の為に ── 自分の為に。
だって、こんなバカな事考えてるの、だいたい夜だしね。



















