
先日、『やさしい彼女たち』の配信のサポートを行った際に、あるキャストさんからカントボーイという概念を教えてもらいました。
割と多種多様なエロスには寛容で精通していると思ってたのですが、カントボーイというのは初めて聞く言葉。
帰宅時の電車の中でめちゃくちゃ検索して実際に見てみたのですが、正直ちょっと私には刺さらないジャンルではありました。
ただ基本的にこういった倒錯的エロティシズムというのは人としての好奇心という部分で大変興味深いものであり、自分なりに理解すべく、資料(エロマンガ)を見ながら考察してみました。
カントボーイ
心身が男性であるが、男性器が無く代わりに女性器がある存在を示す海外由来のポルノ用語。よく誤解されるが男性器は無いためふたなりや男ふたなりとは全く異なる。(出典:ピクシブ百科事典)
うむ…男性器がないからふたなりとは違う、いわゆるディックガールの逆という事ですね。
さて、ここで疑問が湧いてきます。
見た目女性に男性器がついてる事象には興奮するのに、見た目男性に女性器がついてる事象に興奮しないのは、何故でしょう?
・単純に男性の身体や見た目に性的興奮を覚えない。
・女性になりたい訳ではないので女性器の付いた男性に自分を投影できない。
・性器の問題ではなく男性同士の絡みに興奮しない。
理由としてはこの辺でしょうか?
結局、性器の存在など何かを表す目印でしかなく、根本的には思考が男性である故に女性の見た目や曖昧な定義の女性らしさに性的興奮を感じている事が分かりますね。
今の時代、多様性を認める社会等とよく言われておりますが、多様性とは人それぞれ様々な性癖を認め合う事なのではないかとも思ったりもします。
すべての性癖を認め合えば、結果変態というのは当たり前になりその概念すら無くなり、全人類が普通に変態であるという素晴らしく平和な世界が訪れるのではないかと思っています。
と長々と勝手な事を書いてきましたが、そもそも私はフィーリングの人であり、論理的思考というのがとても苦手な人間であり、真剣に物事を考えると頭の中がぐるぐる回ってしまうというアホだった事を思い出しました。
とりあえずエロシティズムの世界は人間の欲望以上に深いという事ですね。
最後に私が好きな名言を紹介させてください。
「みんなエロくて みんないい」 金子みすゞ
「エロくたっていいじゃないか にんげんだもの」 相田みつを
「勃たねぇエロは ただのエロだ」 ポルコ・ロッソ『紅の豚』
人間とは面白いものです。
それでは、また。
アディオス!