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長生きして欲しいはエゴなのか。

by 五十嵐

「長生きして欲しい」みたいなこと言われると、(いや、それは本人の自由なのになんで口を出してくるんだ?他人の人生なんだから関係なくね?)とつい最近まで思っていました。

死ぬ時期も決めている人もいるわけですし、その発言が人を苦しめる可能性もあるのに自分勝手なことを言うなあと。

「幸せになってね」「苦しんで欲しくない」これも同様に。

一般的な幸せが苦しいときもある。よくわからない人もいるでしょうが、著しく自己肯定感が低い人間にとって幸せは怖いのです。身の丈に合っていないと感じるのでそわそわしてしまう。いいことがあればあるほど怖い。優しくしないでとさえ思う。良くしてもらっても自分には十分なお返しができないから。

幸せになって欲しいって言うけど私にとっての幸せとはあなたにとっての不幸で、一般的な幸せを享受して欲しいということならばそうはできないなあ、とか思いながらとりあえず眉毛を八の字にして声を高めに調整したのち「嬉しい」と伝える。

こんなにも捻くれていたのに最近のわたしはなんだか様子がおかしい。

大切な人たちには幸せでいて欲しいし余計な苦労はして欲しくないしちょっとでも良くないことをしていたら違うよって言いたい。

人間関係メリデリでしかなかったのに、気遣いや思いやりみたいなのが良くわからなくて、こういうときは喜ぶ、申し訳なさそうにする、みたいなマナーで生きてきたのに。

お土産とか誕生日プレゼントとかも24年間困惑イベントだったのが、今では選ぶのが楽しいしあげたいしもらって心から喜べる。

今まで一般を模倣してきただけなのが、やっと咀嚼ができて、全ての意味がわかった。

全部愛情なんだね。

長生きして欲しいって、あなたが好きだよって意味なんだ。

エゴなのは変わらないのかもしれないけど、素敵な言葉だね。

ということで「長生きして欲しい」はエゴだけどエゴじゃない。

他人の人生に口出しする無神経な奴の言葉じゃなかったんだ。

これから「長生きして欲しい」ってたくさん言おう。

五十嵐