📅5/17 五月病について調べています
GWが終わって、街はだいたい元の形に戻りました。
駅にはいつもの人たちがいて、コンビニにはいつものサンドイッチが並んでいます。
それはまるで、誰かが朝早く起きて、街全体を元の棚に戻しておいたみたいでした。
ただ、人間の中身までは、そう簡単には戻らないようです。
カレンダーは平日に戻ったのに、身体はまだ連休の端っこに腰かけています。
片手にぬるいコーヒーを持って、もう少しだけここにいたい、みたいな顔をしています。
世間では、それを五月病と呼ぶそうです。
僕も、この現象について調査を始めました。
まず朝、目覚ましを止めました。
次に、もう一度寝ました。
かなり自然な流れでした。
調査としては、少し危険な入り方です。
人間は、急には元に戻れないのかもしれません。
冷蔵庫から出したバターみたいに、少し時間を置かないとやわらかくなりません。
無理にナイフを入れると、だいたいパンのほうが負けます。
これは、焦らしにも似ています。
お客様を焦らしていくときも、いきなり強く攻めればいいわけではありません。
少し触れて、少し離れて、また少し近づく。
そうしているうちに、感覚のほうが先に起きてきます。
僕も、靴下を片方だけ履いて5分ほど過ごしました。
右足だけ、社会復帰していました。本日の研究結果です。
五月の身体は、まだ寝ぼけています。
だからこそ、やさしく焦らす価値があります。
📅5/18 休んだのに疲れています
五月病について、引き続き考えています。
一番の謎は、これです。
休んだのに、疲れている。
普通に考えると、かなり変です。
でも人間は、ときどき変な計算をします。
たくさん寝たのに眠い。
何もしなかったのに疲れる。
冷蔵庫を開けたのに、何を取りたかったのか忘れる。
カレンダーは平日に戻っています。
でも、心だけまだ連休のベランダでお茶を飲んでいます。
風も少し吹いていて、わりと居心地がよさそうです。
できれば一緒に帰ってきてほしいです。
今日はコーヒーを入れようとして、マグカップを出さないまま、お湯だけを注ぎそうになった。
そこには、何もなかった。
ただ、注がれようとしているお湯だけがあった。
空のない場所に雨だけが降るみたいに、目的地のない行為だけがそこに残っていた。
僕の心は、まだ帰ってきていない。
少なくとも、台所にはいなかった。
この「ズレ」は、焦らし革命においても重要だと思う。
身体はもう反応している。
でも気持ちは、まだ少し後ろの方を歩いている。
その距離を無視して進めると、どこか浅くなる。
かといって待ちすぎると、空気がほどけてしまう。
早すぎてもいけない。
遅すぎてもいけない。
大事なのは、ちょうどよい場所で立ち止まることだ。
相手の中で、何かが追いついてくるのを待つことだ。
でも、待つというのは、ただ何もしないことではない。
相手の呼吸を見ている。
筋肉のこわばりを見ている。
沈黙の中にある、小さな変化を拾っている。
そこには、けっこう正確な技術が必要になる。
五月病も、焦らしも、結局はタイミングの問題なのかもしれない。
本日の研究結果。
五月病とは、心と身体の時差である。
あと、マグカップは先に出す。
これはかなり大事だ。
📅5/19 五月病には焦らしです
五月病研究も、3日目に入った。
そろそろ対策を考える必要がある。
ただし、僕は思う。
五月病に対して、いきなり「頑張ろう」と言うのは、少し乱暴だ。
頑張れたら、もう頑張っている。
本当に必要なのは、気合いではない。
たぶん、小さな再起動のようなものだ。
まず起きる。
水を飲む。
カーテンを少し開ける。
外の光を、部屋の中に入れる。
それだけで、世界はほんの少しだけ戻ってくる。
僕は今日、外に出るところまでは成功した。
ただ、ゴミを持たずにゴミ捨て場まで行った。
かなり惜しい。
ゴミ捨て場の前で、僕はしばらく立っていた。
手には何もなかった。
空も、特に何かを教えてはくれなかった。
ただ、五月の風だけが、少しだけ吹いていた。
けれど、その瞬間にわかったこともある。
人間は、かなり不完全なまま外に出る。
眠気を残し、昨日の疲れを残し、処理しきれなかった感情をポケットの中に入れたまま、何食わぬ顔で街を歩いている。
電車に乗り、コンビニで水を買い、スマホを見て、誰かに返信する。
みんな、完全に戻っているふりをしているだけなのかもしれない。
五月病というのは、壊れている状態ではない。
戻りきっていない状態だ。
エンジンはかかっている。
でも、まだ回転数が安定していない。
そこでアクセルを踏み込めば、音だけが荒くなる。
前には進むかもしれない。
でも、どこかが擦り減る。
これは焦らし革命に近い。
お客様を焦らしていくときも、いきなり限界まで連れていくわけではない。
まず呼吸を整える。
少しだけ反応を引き出す。
でも、まだ先には行かない。
身体が自分から追いついてくるまで、待つ。
急がせない。
置いていかない。
そのあいだに、感覚は少しずつ深くなる。
焦らしとは、止めることではない。
進ませないことでもない。
相手の中で、感覚が立ち上がるまでの時間を設計することだ。
気合いは、外側から押す。
焦らしは、内側から動き出すのを待つ。
たぶん、そこが違う。
五月病の身体にも、同じことが言える。
いきなり走らせるのではなく、まず歩かせる。
歩けないなら、立つだけでもいい。
立てないなら、片方の靴下を履くだけでもいい。
ゴミを持たずにゴミ捨て場まで行ったとしても、それは完全な失敗ではない。
少なくとも、身体は外の空気を思い出した。
本日の結論。
五月病には、気合いより焦らしです。
そしてゴミ出しには、ゴミが必要です。
でも、ゴミを忘れても、外に出た身体は少しだけ進んでいる。
問題はいつも、そこからどう戻るかだ。
【お詫び】ありがとう!





















