こんにちは、ささべです。
気づけば、日常の中で本名を使う機会がどんどん減ってきました。
特にネット上でのやりとりや活動が増えると、呼ばれる名前も、書き込む名前も、自然とハンドルネームばかりになっていきます。
誰かとやりとりする時、SNSに何かを投稿する時、呼ばれたり思い出されたりするのは決まって「ハンドルネーム」です。本名がまったく登場しない日だって、もう珍しくありません。
不思議なことに、そうやって呼ばれる回数が増えてくると自分の中でも「ハンドルネーム」のほうが本当の自分に近いような気がしてくるんです。テンションも会話の距離感も、ぜんぶ「ハンドルネーム」としてのほうがしっくりくる。リアルの生活でもうっかりハンドルネームで名乗りそうになって「あっ」となること、あります。
これもう末期かもしれませんね(笑)
でも、たぶん同じような感覚を抱えている人は多いんじゃないでしょうか。特にネットで何かしら発信していたり活動していたりする人は。
本名って、たしかに親がくれた大切な名前なんですけど、それを使わなくても成立してしまう世界がある。私は間違いなく“本名”を持っているのに、それを必要としない場所に日常がある。これってとても不思議だなぁと思います。
「親がくれた立派な名前に正直大した意味は無い。意味があるのは、その名の人が実際の人生で何をしたか」
これは暗殺教室の殺せんせーの言葉ですが、今の私にはすごくしっくりきます。
本名に重みがないとは思わないけれど、私にとって「自分で選んだ名前」で生きるほうがよっぽど自分らしくいられる。ネットの中で築いた“もうひとつの名前”が、気づけば私の看板になっていました。
たぶん私はこれからも「ハンドルネーム」で生きていくんだと思います。
名を残すのは“生まれたときの名前”じゃなく、“生きてきた私の姿”なんだって、そう信じています。