メニュー MENU

Staff Blog スタッフブログ

オナニーロンダリング ── セルフプレジャーという言葉狩り

by MIKI

|世界がオナニーに手袋をはめ始めた

最近、世界はやたらと過保護だ。
尖った言葉は角を丸められ、どうしようもなさには「配慮」という名の白い手袋が被せられる。
そして、言葉のロンダリングはついにここまで来た。

「セルフプレジャー」

……は?
なんだその言葉。
オナニーが、いつの間にか「説明資料つきの健康習慣」みたいな顔をしている。
オナニーだろ。
どう考えても。

一人で、こっそり、誰にも誇れず、ちょっと情けない顔をしながらやる、あの行為だろ。
それをセルフプレジャー。
欲望が名札を付けて整列している。
気持ち悪い。

オナニーの本質は「自分に負けている感じ」にある。
やらなくていいと分かっている。
褒められもしない。
人生が良くなる保証もない。

それでも気持ちいいからやる。
この、理性が一歩引いて本能が半歩出るだらしない譲歩にこそ、人間のエロさがある。

なのにセルフプレジャーは違う。
やっていい。
むしろ推奨。
自分を大切に。
……違う。

それはもうエロティックじゃない。
快楽は、正当化された瞬間に死ぬ。
許可され、尊重された行為にあのヒリつきは宿らない。

オナニーは堂々としていないからいい。
ちょっと背中を丸め、誰にも見られていない前提でこっそりやるから成立する。

世界よ、オナニーに手袋をはめるな。
そのまま触らせろ。
そのまま汚れさせろ。

 

|セルフプレジャーは「和解」しすぎている

セルフプレジャーの最大の罪は、自分と仲直りしてしまっているところにある。
オナニーは本来、和解なんてしていない。むしろ軽く揉めている。

理性「今日はやめとけ」
本能「いや、まあ、でも」
理性「昨日もやっただろ」
本能「昨日は昨日、今日は今日」

この、勝ちでも負けでもない情けない押し問答がオナニーだ。
ところがセルフプレジャーになると ──

理性「セルフケア大事」
本能「ですよね」

満場一致で終了する。
和解してんじゃねえよ。
快楽というのは基本的に「負け」から生まれる。

負けを認める。
抗えなかった事を引き受ける。
その上で「まあ、自分だしな」と一段下に降りる。

この“降りる動作”がないと、快楽は立ち上がらない。
セルフプレジャーは自分を下に置く前に「大丈夫ですよ」と肩を叩いてしまう。
優しさが早すぎる。
正解のセリフは「よし、自分を大切にできた」ではなく、「……何してんだろ俺(私)」だ。

この一言を自分に向けて言えない行為は、信用できない。
オナニーは自分を甘やかす行為ではなく、「どうしようもない自分」を引き受ける行為なのだ。

 

|オナニーは恥があって完成する

オナニーから恥を抜いたら、それはもう別の何かだ。
人生を左右するほど深刻じゃなくていい。
ただ「人には見せられないな」という軽い後ろめたさがオナニーを完成させる。

鍵をかける。
音を消す。
気配を殺す。
なぜなら誇れないからだ。

もし本当に健全で完全に正しいなら、リビングで家族の前で「ちょっとセルフケアしてくるね」と明るい顔でやるはずだ。
……無理だろ。
無理な時点で答えは出ている。

セルフプレジャーという言葉は、この「隠す前提」を壊そうとする。
だが、快楽は後ろめたいからこそ内側で膨らむのだ。

オナニー後の感情に正解の自己肯定などいらない。
終わった直後、天井を見て少しだけ時間が止まる。
その瞬間の一瞬の虚無こそが、オナニーの味わいだ。

恥を消そうとする社会は、優しいフリをして快楽を去勢している。
オナニーは綺麗にしなくていい。
堂々としなくていい。
ちょっと情けなくて、終わった後に少しだけ自分を嫌いになる。
それで完成だ。

 

|語源という名の死体置き場

オナニーの語源は聖書のオナン。
神に命じられた役目を嫌がり、故意に精液を地に漏らした結果、神に激怒されて即死した。
ハッピーエンド要素ゼロだ。
ここに「セルフケア」「ウェルビーイング」が入り込む余地はない。

天から見下ろすオナンが現代の啓発ポスターを見たら、「……え?俺、神に殺されたんだけど?」と固まるに違いない。
オナンの原点は祝福でも理解でもなく、怒られて罰せられた話だ。

それを現代人は、言葉を漂白し、雷を片付け、「セルフプレジャー」だと?
話を盛るな。
オナニーは元々「怒られる側」だ。
正解じゃない。
推奨されていない。

それでも、神に怒られてもなお人間は手を動かす。
このどうしようもなさにこそ、人間の本質がある。
神に殺された男の名前を、健康ポスターに使うな。

 

|マスターベーションという知的仮面

マスターベーションという言葉は賢そうでカッコいい。
オナニーが床に落ちたティッシュなら、マスターベーションはファイルに綴じられた報告書だ。

だが、有力な語源を直訳するとこうなる。
「手で自分を汚す」「手による辱め」
……どこが上品だ。
オナニーよりも言い方がキツい。

オナニーはまだ間抜けで可愛げがあるのに、マスターベーションは冷静に、事務的に自分を辱めている。
それを「自己理解の為に」とか言い出すのは無理がある。

中学生の頃、響きだけでカッコいいと思って後から意味を知り、少しだけ後悔する。
その瞬間、人は一つ大人になり、「あっ、オナニーでよかったな」と思う。
言葉を賢くした瞬間、快楽は一段浅くなる。

 

|では「自慰」はどうなのか問題

いよいよラスボス、「自慰」。
辞書的にも倫理的にも逃げ場がない、一番つまらない言葉。
この二文字を見た瞬間、エロが一斉に逃げる。

パンツを下ろす行為なのに、なぜか背筋が伸びて正座になる。
 「自」と「慰」。
自分で自分を慰める。

……急に重い。
叱られもせず、命令もされず、見下されもしない。
ただ自分が自分をそっと撫でる。

地獄か?
快楽にはどこかにズレ(上下、負け、恥、距離)が必要なのに、自慰は全部を真ん中に戻してしまう。

しかも「保健体育」「指導要領」の雰囲気が漂い、教室で「自慰について学びましょう」と言われたら全員の脳内が停止する。
それは学びではなく事故だ。
自慰は正しすぎるがゆえに、オナニーを殺す。

 

|だから難しい言葉を全部捨てろ

人間は賢くなるほど言い訳が上手くなる。
負けを負けと言わず、欲望を「理解」や「配慮」で包む。

だが、それは逃げの高度化にすぎない。
オナニーは高度である必要がない。
むしろ低くていい。

ちょっと下を向いて、誰にも誇れない顔で「まあ、自分だしな」と納得する。
この雑な自己評価こそが、オナニーの正しい高度だ。

セルフプレジャーは優しすぎる。
マスターベーションは賢ぶりすぎる。
自慰は正しすぎる。
どれもオナニーに似合わない。

オナニーはもっと雑で、もっと情けなくて、もう少し嫌われていていい。
人類がAIを作り、宇宙を目指し、ウェルビーイングを語るその裏で、夜のどこかで人間は一人で静かにパンツを下ろす。
それは哲学でも思想でもなく、人間の習性だ。
猫が段ボールに入るのと同じで、手が空けばだいたい股間に手を置いている。

オナニーは人生を良くしない。
たまにちょっと後悔させるだけだ。
それでいい。
馬鹿で、最低で、誰にも見せられなくて、でも今日一日で一番正直な時間。

姿勢は悪く、背中は丸い。
スマホを見る自分の角度に「うわ……」と思う。
これが、人間がいちばん正直なフォームだ。
誇りも思想もウェルビーイングも、今この瞬間だけは全部床に落ちている。

残っているのは、ちょっとムラムラした意識とだらしない身体と、「まあ……今さらだしな」という雑な諦めだけ。
この状態でやるから、オナニーはエロい。
立派な顔でやったら別競技だ。

だから、オナニーに意味を与えるな。
価値を持たせるな。
言葉を着せるな。 

もし「でも言葉って大事ですよね」などと言い出す人がいたら、こう返すといい。

「うるせえ、オナニーして寝ろ。」

……いや、待て。
寝る前に予約するんだ。
そして明日は、一人で完結しない快楽というものを、優しいM性感に勉強しに行こう!