
先日、日曜日に家の近所のスーパーに買い物に行った。
家族連れの多い日曜日という事もあり、精肉コーナーの横に、例の“あれ”が設置されていた。
試食コーナーである。
無料。
だが、勝手に取ってはいけない。
人類はなぜここまで高度な自制を身につけてしまったのか、毎回少し感心する。
気になる商品があった。
美味しそうなウインナーだ。
試してみようと思ったが、準備ができていない。
爪楊枝はある、紙皿もある。
しかし、肝心の中身がない。
店員は黙々と調理を続けている。
私は、ただ立って待つ。
誰に命じられた訳でもないのに、他の買い物をしてもいいのに、それでも待つ。
やがて、出来上がり、整然と並べられる。
空気が張り詰める。
そして、最後に落とされる一言。
「どうぞ」
その瞬間、さっきまで誰も触らなかったものに、一斉に手が伸びる。
この光景を見た時、私は確信してしまった。
── あっ!これ、知ってる構造だ。
すごく身近で、すごく説明しづらくて、でも一度気づくと戻れないやつ。
そう、これは ── 射精管理である。
ここで、一度整理してみよう。
感情ではなく、構造として。
【試食のプロセス】
1. 並べる(興味を引く)
2. 見せる(焦らす)
3. でも触らせない(支配の開始)
4. 相手が迷うのを見る(観察)
5. 「どうぞ」と許可を出す(解放)
6. 食べるリアクションを見る(余韻)
【射精管理のプロセス】
1. 触れる(興奮を起動)
2. 見せつける(焦らす)
3. でもイかせない(支配の開始)
4. 相手が震えるのを見る(観察)
5. 「イっていいよ」と許可を出す(解放)
6. 絶頂の顔を見る(余韻)
……完全一致である。
もはや違うのは、エコバッグがいるか、いらないかくらいだ。
そして、ここからが本題だ。
この完璧な管理を行っている試食のお姉さん。
彼女は、自分がSだという自覚が、ほぼない。
これが怖い。
無自覚Sほど、恐ろしい存在はいない。
欲望を刺激し、期待させ、待たせ、迷わせ、そして、ほんの一言で解放する。
これ、どこかで見た事がある。
そう、M性感で日常的に行われている事と、ほぼ同じだ。
・触れそうで触れない
・目線だけで期待を煽る
・勝手に動いたら「ダメですよ?」と止める
・相手の反応をよく観察する
・最後に“許可”を与える
本人は、ただ仕事をしているだけである。
だが、結果として発生しているのは、極めて高度な欲望管理プレイである。
しかもこれ、誰にも怒られないし、クレームも来ない。
家族連れもいるという、世界一平和なSM空間。
ここで、もう一つだけ恐ろしい事実を指摘しておきたい。
試食のお姉さんは、こちらがどれだけ悶えているかを、実はかなり正確に把握しているという点だ。
目線の泳ぎ。
足の止まり方。
「まだかな」と棚を無意味に眺める挙動。
トングの前で一瞬止まって、何事もなかった顔で通り過ぎるあの不自然な動き。
全部、見られている。
そして彼女は、絶妙なタイミングでこう言う。
「どうぞ〜」
早すぎない。
遅すぎない。
こちらの理性が「もう限界だろ」と根を上げる、ギリギリのライン。
これ、完全に「頃合いを見る」技術である。
マニュアルに載せていいレベルだ。
しかも恐ろしい事に、彼女はその技術を ──
・無料で
・無自覚で
・休日の昼間に
・子ども連れの横で
発動している。
これを変態と呼ばずして、何と呼べばいいのか。
考えてみれば、試食コーナーとは「イってはいけない空間」ではなく、「イっていいと言われるまで待つ空間」なのだ。
だから興奮する。
だから忘れられない。
だから味はどうでもいいのに、記憶に残る。
人類はまだ気づいていない。
スーパーの片隅で、とんでもないレベルの欲望マネジメントが毎週末、黙々と実施されているという事実に。
私達は日常の中で、何度も何度も「どうぞ」を待たされている。
食べていいですか?
やっていいですか?
欲しがっていいですか?
スーパーの試食コーナーは、そのすべてを紙皿一枚で再現する、恐ろしく完成された舞台装置だ。
あの日、私は試食をした。
味は正直、普通に美味しかったぐらいである。
だが、「どうぞ」と言われた時に、買い物客達が一斉に欲望を解放した瞬間を今もはっきり覚えている。
人は ──
食べたいのではない。
出したいのでもない。
── 許されたいのだ。
そして今日も、日本中のスーパーの片隅で、買い物客達は静かに待っている。
「いいよ」と言われる、その瞬間を。
……食べるだけなのに。



















